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東京地方裁判所 平成7年(ワ)6296号 判決 1998年7月28日

主文

一  甲、乙事件原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は甲、乙事件原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  甲事件

甲事件被告社会福祉法人文京区社会福祉協議会(以下「被告協議会」という。)は、甲、乙事件原告(以下「原告」という。)に対し、二三五〇万八五九八円及びこれに対する平成七年四月二八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  乙事件

乙事件被告乙山春子(以下「被告乙山」という。)は、原告に対し、二三五〇万八五九八円及びこれに対する平成七年一〇月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、ボランティアによる歩行介護を受けて病院から帰る途中に転倒し負傷した原告が、右転倒はボランティアに歩行介護を行う上での注意義務違反があったためであるとして、ボランティアとボランティアを「派遣」した社会福祉法人に対して損害賠償を求めている事件である。

すなわち、後記認定のように、原告は、平成三年一一月一六日に発症した脳出血のため、同月一七日から平成四年六月一三日まで都立大塚病院(以下「大塚病院」という。)に入院して治療を受けたが、左半身麻痺の後遺症が残ったため、退院後も自宅から病院に通院してリハビリテーションの訓練(以下「リハビリ訓練」という。)を受けるようになった。原告は、右の通院については、社会福祉法人である被告協議会が設置、運営するボランティアセンターから「派遣」されたボランティアによる歩行介護を受けていたところ、平成四年七月一日午前一一時三〇分ころ、大塚病院でリハビリ訓練を受けて帰宅する際、同病院玄関付近で転倒し、右足大腿骨頭部を骨折した(以下「本件事故」という。)。その際に歩行介護をしていたのはボランティアの被告乙山であった。

そこで、原告は、被告乙山には歩行介護を行う者として原告の転倒を防止すべき注意義務があるのにこれを怠ったとして、被告らに本件の損害賠償を求めている。

二  争点

1 原告と被告協議会との間の契約関係の存否

(原告の主張)

(一) 被告協議会はボランティアの育成、登録及び派遣をその事業としており、被告乙山の派遣は被告協議会の事業として行われたものである。

(二) 本件派遣は、訴外都立大塚病院が原告の事務管理者として被告協議会に介護者の派遣を委託したところ、被告協議会がこれを受託し、さらに原告がこれを承諾した結果行われたものであり、原告と被告との間に介護者派遣に関する準委任契約(介護者派遣契約)が成立した。

(三) したがって、被告協議会には、介護者派遣契約に基づき、原告の身体に対する危険が生じないよう配慮する義務があるというべきであり、被告協議会の履行補助者である被告乙山の後記過失によって本件事故が発生したものであるから、被告には債務不履行による損害賠償責任がある。

(被告協議会の主張)

被告協議会は、原告のボランティア紹介の要請を受けて、ボランティアたる被告乙山を紹介したにすぎず、原告と被告協議会との間には何ら契約関係は発生しないから、被告協議会には原告の主張する注意義務が存在しない。

2 被告乙山の過失の有無

(原告の主張)

被告乙山は、左半身が麻痺している原告の歩行介護に際しては、常時原告の動静を監視し、歩行させる場合などには、いつにても手を差し出すことができるようにするなどして転倒等原告の身体に対する危険が生じないよう配慮する義務があるのにこれを怠り、病院一階のエレベーターを降りたところで原告に対する歩行介護をやめて原告を放置した過失により、原告を病院玄関自動ドアの出口付近まで独力で歩行させた結果、本件事故を発生させた。

(被告らの主張)

被告乙山は、原告の通院のための歩行介護を依頼された際、原告に転倒の危険があることその他特に注意すべき点につき、担当医や原告から知らされていなかった上、本件事故は原告が被告乙山の指示に従うことなく自力で歩行したために発生したものであって、被告乙山には過失がない。

3 本件転倒事故による損害の有無

(原告の主張)

本件事故により、原告は次のとおりの損害を蒙った。

(一) 積極損害

(1) 器具等購入費

車椅子 一一万九〇〇〇円

屋内改造費 二八万八四〇〇円

(2) 付添費

入院中 一三一万五〇〇〇円

退院後本訴請求時まで 一〇五万円

将来付添費 四六九万二四八〇円

(3) 入院雑費 三四万一九〇〇円

(二) 逸失利益 六〇〇万四八一八円

(三) 入通院慰謝料 三〇三万円

(四) 後遺症慰謝料 五六六万七〇〇〇円

(五) 弁護士費用 一〇〇万円

(被告らの主張)

本件事故の前後で原告の運動機能に差はないから、本件事故による損害は発生していない。

第三  判断

一  本件事故に至る経緯等について

《証拠略》によれば、本件事故に至る経緯等について次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

1 原告(昭和七年七月二二日生。本件事故当時五九歳)は、平成三年一一月一六日に脳出血を起こし、同月一七日から都立大塚病院(以下「大塚病院」という。)に入院したが、左半身麻痺の後遺症が残ったため、平成四年二月四日からは右病院のリハビリテーション科(以下「リハビリ科」という。)でリハビリ訓練を受けるようになった。この訓練は、原告が日常生活を自立して行うことや歩くことが可能になるようにすることを目的として行われ、具体的には運動機能を回復するために平行棒の内側を歩行したり、階段を上下したりする訓練と調理等の日常家事を行う訓練が行われた。

2 原告は、平成四年五月末ころには、退院が可能な状況となり、同年六月一三日に大塚病院を退院したが、退院後も通院してリハビリ訓練を受ける必要があった。退院時の原告は、なお左半身麻痺の症状が残り、失認状態があったため、杖をついて独力で歩行することは可能であったものの、屋外で歩行する場合には、介助者が原告の近くに立って原告の動静を監視し、倒れそうになるなど危ないときにはすぐに手を出して支えることができるような体制、いわゆる近位監視歩行をとる必要があった。しかし、立っているだけでは近位監視は不要で、離れた位置から監視していれば足り、一〇分程度は安定した姿勢で立っていることが可能であった。また、原告には脳出血を原因とする言語障害の症状はなかった。大塚病院リハビリ科の加世田美恵子医師は、原告の退院前、原告の長男夫婦に原告の介助上の注意などをした。

3 しかし、原告の家族が通院の介助することは困難であったため、大塚病院医事課所属のケースワーカーである高取義昭(以下「高取」という。)は、ボランティアによる歩行介護を依頼することにし、原告の退院前である同年五月二七日、被告協議会に原告のガイドヘルプ(障害者や高齢者の外出介助や買物の手伝いなどをすること)を行うボランティアの紹介を電話で依頼した。その際、高取は、被告協議会の職員である加藤澄子に対し、原告の症状について、脳出血による左下肢に麻痺があること、言語は明瞭であること、ゆっくりではあるが自力歩行できること、原告はリハビリに意欲的であること、タクシーの乗降については注意して欲しいことを伝え、六月の始めの退院以降毎週木曜日と金曜日の介助者の紹介を依頼した。

これに対して、被告協議会では、ガイドヘルプを行うボランティアとして登録されていた被告乙山と平湯弘子とを介助者として紹介することとし、両人の内諾を得た上、高取にその旨を連絡した。

4 被告乙山は、昭和六〇年ころから被告協議会のボランティアセンターに登録して、ガイドヘルプのボランティア活動を行っていたが、被告協議会から連絡を受けて、原告が大塚病院へ通院する際のガイドヘルプを引き受けることにし、同年六月二五日と本件事故当日の同年七月一日の二回、原告の大塚病院への通院について歩行介護を行った。

5 原告は、平成四年七月一日の午前一〇時ころ、歩行介護のため原告宅に来た被告乙山に付き添われて、タクシーで大塚病院へ行き、エレベーターで同病院地下一階にあるリハビリ科運動療法室に行き、そこで約四〇分間のリハビリ訓練を受けた後、被告乙山に付き添われて、エレベーターで一階に戻り、帰宅すべく同病院玄関に向かったが、同日午前一一時三〇分ころ、被告乙山がタクシーを呼ぶため一時原告の側を離れた間に、玄関付近で転倒し、右足大腿骨頭部骨折の傷害を負った。

二  争点一(原告と被告協議会との間の契約関係の存否)について

1 《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 被告協議会は、東京都文京区の区域内における社会福祉事業の能率的運営と組織的活動を促進し、地域社会福祉の増進を図ることを目的として、社会福祉事業法に基づき設立された社会福祉法人であり、<1> 社会福祉を目的とする事業に関する調査及び研究、<2> 社会福祉を目的とする事業に関する総合的企画、<3> 社会福祉を目的とする事業に関する連絡、調整及び助成、<4> 社会福祉を目的とする事業に関する普及及び宣伝、<5> 社会福祉を目的とする事業の企画及び実施、<6> 社会福祉を目的とする事業の健全な発達を図るために必要な事業、<7> 社会福祉に関する活動への住民の参加のための援助、<8> 保健衛生、社会教育を目的とする事業との連絡、<9> 応急小口資金の貸付、<10> 歳末助け合い運動の実施、<11> 共同募金事業への協力などの事業を行っている。

(二) 被告協議会は、被告協議会の事業の一つである、社会福祉に関する活動への住民の参加のための援助として、「ボランティアセンターの設置運営に関する規程」により、地域の福祉増進に寄与し、ボランティア活動を推進するため、ボランティアセンターを設置している。右規程によると、ボランティアセンターは、<1> ボランティアの登録及び派遣、<2> ボランティアの育成、<3> ボランティア活動についての情報、資料の提供、<4> ボランティア活動の資材、場所の提供、<5> ボランティア活動についての相談、助言、<6> ボランティアコーナーの設置の事業を行うことになっており、相談員二名(被告協議会の職員)と窓口相談員二名(非常勤職員)によって運営されることになっている。また、ボランティアセンターの運営は、ボランティアセンター運営要綱に基づき行われているが、右要綱の二条一項には、「ボランティアとして活動しようとする者は、登録の申し出をし、ボランティアカードに記帳後、登録証の交付を受けるものとする。」、「ボランティア登録証を受けた者は、センターからの派遣要請について可能な限りボランティア活動に協力するものとする。」などが規定され、同条二項には、「ボランティア派遣依頼者(以下「ニード」という。)は、センターに申し込み、ニードカードに登録しなければならない。ニードは原則として文京区在住者とする。」と規定されている。

2 原告は、被告乙山が本件の歩行介護を行ったのは、ボランティアセンターが行っている「ボランティアの登録及び派遣」事業として行ったものであり、右は、被告協議会の事業の一つである社会福祉を目的とする事業の企画及び実施等の一環として行うものであるから、被告乙山の本件の歩行介護は、被告協議会の事業として行われたものであり、原告と被告協議会との間には、介護者派遣に関する準委任契約が成立していると主張する。

なるほど、前記認定によれば、被告のボランティアセンターは、センターの事業として、「ボランティアの派遣」を行っており、被告乙山の本件歩行介護もボランティアセンターから「派遣」された形で行われるようになったものであることが認められるところ、「派遣」の通常の用語法からみれば、自己の支配下にある者に命じて別の場所に出張させる意味合いがあるから、ボランティアセンターがボランティア派遣依頼者の求めに応えて、自己の支配下にあるボランティアに命じてある行為をさせるために出張させたと受けとることができなくはなく、派遣する主体であるボランティアセンターないし被告協議会が自己の事業としてボランティア活動を行っているように解し得ないではない。

しかしながら、ボランティア活動は、本来、他人から強制されたり、義務としてなされるべきものではなく、希望者が自分の意思で行う活動であるから、ボランティアセンターに登録したボランティアといえども、ボランティアセンターに対する義務としてボランティア活動を行っているのではなく、ボランティアがボランティアセンターの求めに応じてボランティア活動を行うようになったからといって、被告協議会とボランティアとの間に何らかの法律関係が発生するわけではないというべきである。前記認定のように、ボランティアセンター運営要綱二条に「ボランティア登録証を受けた者は、センターからの派遣要請について可能な限りボランティア活動に協力するものとする。」との条項があるのもこの理を表すものである。また、ボランティアと被告協議会の関係が右のようなものであることからすると、被告協議会のボランティアセンターが、ボランティア派遣依頼者の求めに応じてボランティアを「派遣」することになっても、右によって、被告協議会とボランティア派遣依頼者との間に、ボランティアの活動を債務の内容とするような準委任契約が成立するとみることはできないというべきである。仮に右のような契約関係が成立するとなると、被告協議会は、その債務を履行するため、ボランティアに対して、依頼の趣旨に従った活動をすることを義務付けなくてはならないが、それはボランティア活動の本旨に合致しないからである。

結局、被告協議会ないしボランティアセンターが行っている「ボランティアの登録及び派遣」とは、ボランティアの活動が円滑に行われるようにするため、予めボランティアの協力を得られることを確認し、ボランティア派遣依頼者の必要に応じたボランティアを速やかに紹介できるようにするため、ボランティア活動を行う人物を登録しておき、ボランティア派遣の依頼があったときは、登録したボランティアの中から適切なボランティアを紹介することを意味するにすぎないというべきである。すなわち、被告協議会は、ボランティアの派遣依頼者の希望に応じて適切な登録ボランティアを紹介するが、ボランティア派遣依頼者に対してその依頼に応じて登録ボランティアを派遣する法的義務まで負うものではないというべきで、前述の「派遣」という文言は、登録したボランティアの任意の協力がなされることを期待して、登録ボランティアにボランティア派遣依頼者を紹介することを意味するにすぎないものと解すべきである。

3 したがって、被告協議会が依頼に応じてボランティアを「派遣」したとしても、これによって、原告と被告協議会との間に準委任契約たる介護者派遣契約が成立したものと解する余地はなく、この契約の成立を前提として、被告協議会に対し損害賠償を求める原告の本訴請求は、その余について判断するまでもなく失当である。

三  争点二(被告乙山の過失の有無)について

1 ボランティアとしてであれ、障害者の歩行介護を引き受けた以上、右介護を行うに当たっては、善良な管理者としての注意義務を尽くさなければならず(民法六四四条)、ボランティアが無償の奉仕活動であるからといって、その故に直ちに責任が軽減されることはないというべきであるが、もとより、素人であるボランティアに対して医療専門家のような介護を期待することはできないこともいうまでもない。例えていうならば、歩行介護を行うボランティアには、障害者の身を案ずる身内の人間が行う程度の誠実さをもって通常人であれば尽くすべき注意義務を尽くすことが要求されているというべきである。

2 ところで、本件事故当時、原告は、いわゆる近位監視歩行の体制で歩行介護を行う必要があったところ、原告が転倒した際には、被告乙山は原告の側を離れていたことは前記一で認定したとおりである。

そこで、原告が転倒した前後の被告乙山の介護についてみるに、《証拠略》によれば、次の事実が認められ(る。)《証拠判断略》

(一) 本件事故当日、原告は、大塚病院地下一階のリハビリ科運動療法室で約四〇分間歩行訓練を行ったが、被告乙山は、訓練を終えた原告に付き添ってエレベーターで一階まで上がり、本件事故の現場である玄関に向かった。エレベーターと玄関の位置関係は別紙図面のとおりであるが、被告乙山は、右手を原告の左腕に少し入れて並んで歩くという方法で歩行介護しながら、概ね別紙図面に記載された点線に沿って玄関に向かった。なお、原告は右手で杖をついていた。

(二) 玄関の風除室まで来たところ、たまたま、車寄にタクシーが来ていなかったため、被告乙山は、風除室の、外に向かって左側の壁際(別紙図面の×点の地点)に原告を連れて行き、「ここで待っていて下さい。タクシーを呼んできますから。」と言い残して、小走りで玄関から外に出たが、すぐドサッという音が聞こえたため振り向いたところ、原告は、玄関外側の自動ドアのマットの上に尻餅をつくような形で転倒していた。原告は、被告乙山が原告の側を離れる際、被告乙山がタクシーを呼びに行くということは理解していた。

(三) 被告乙山は、原告の歩行介護を引き受ける際、センター、担当医又原告のいずれからも具体的な介助の方法については指示、指導ないし希望を告げられていなかったが、原告が右手で杖を使用して歩行するため、原告の歩行介護に当たっては、原告の左腕に少し右手を入れる形で介護をしていた。

3 右により判断するに、被告乙山が原告の側を離れるに際しては、被告乙山は原告にタクシーを呼んでくるから待つようにとの言葉を残しており、原告は、被告乙山がタクシーを呼びに行ったことを理解していたことは右認定のとおりである。また、被告乙山が原告を待たせた場所は、玄関風除室の壁際であったというのであるから、特に右場所が人の往来が激しく立っているのに危険な場所であるとも認められず、また、転倒は、被告乙山が原告の側を離れてすぐに起こっていることからすると、被告乙山が原告を長時間待たせたということもないことは明らかである。そして、前記一で認定したように、原告は、立っていることはかなりできるが、屋外での歩行(病院内の廊下、玄関なども屋外の歩行と同視できる。)には、近位監視歩行が必要であり、そのためにボランティアである被告乙山が通院に付き添うようになったのであり、そのことは原告も十分に理解していたはずである。

右のように、本件事故は、被告乙山がタクシーを呼んでくるから待つようにとの指示をして原告の側を僅かな時間離れたときに起こったものであるが、原告は、被告乙山がタクシーを呼びに原告の側を離れた以上、被告乙山の言葉に従って指示された場所で待つべきであり、被告乙山としても、原告が指示された場所で待つことを期待することはできたというべきである。原告は、おそらく少しくらいなら大丈夫との判断に基づいて歩き始めたものと思われるが、結局、本件事故は、判断を誤って介護者なしで歩き始めた原告自身の過失によって生じたものといわざるを得ず、被告乙山が原告に待つように指示して原告の側を離れたことをとらえて被告乙山を非難することはできないというべきである。被告乙山は、歩行介護を行うものとして必要とされる注意義務は尽くしており、被告乙山には過失はなかったというべきである。

4 したがって、その余について判断するまでもなく、被告乙山に対する本訴請求も失当である。

四  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 大橋 弘)

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